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いつでも使える



授業を英語で進めることについて

8年間、中学英語教師として教壇に立ち、様々な方法を試してきました。

生徒がどのような集団であるか、同僚の英語の先生はどんな人か、自分の分掌はどうかで、教授法は正直大きく変わります。

今回は、「授業を英語で進めること」について思うことを書きたいと思います。

 

結論

  • 授業は日本語で進めたほうがいい。特に中1。
  • 中2からも、特別な支援を要する生徒(普通学級在籍の、支援員などがつかない)がいるのなら、日本語のほうがいい。
  • TTであったり、支援員がついていたりする場合は、英語で進めてもOK。

この結論に至った理由

成績や反応、理解が段違いで良いと感じた。

 

これまで、私は得意な英語を活かしてガンガン英語で授業を進めていました。

開始時のあいさつに限らず、名前を書いてください、このシートを取り出してください、今日の活動のルールはこうですよ、など。

しかし、それにはとても時間がかかる上、不得意な生徒は全く理解できませんでした。

さらに、そもそも日本語でも話を聴いたり、見て指示を理解したりするのが苦手な生徒はいちいち活動から遅れていきます。

全体への指示はほとんど通らなく、一回ごとに「全体指示」→「その生徒へ個別指示」になり、生徒は自信をなくしていきました。

英語での授業は、苦手な生徒をおいていくことになってしまいました。

また、先生が一人だとそのような生徒のフォローに回るばかりで、授業が進みません。結果、2月頃に詰め込み学習になってしまい、年度末の大切なところがお粗末になってしまいました。

 

今年、思い切って英語を使うこだわりをやめたところ、それが「得意な生徒」へも良い効果をもたらしたようです。

「英語がわかりやすい」という生徒が増えました。

特別な支援を要する生徒は日本語でも指示を聞き逃しますが、得意な生徒が理解できるので、助けてくれます。

また、生徒たちは「キャッチーなワード」を覚えていることが多く、それは多くの場合日本語の方が役立ちます。

 

例えば、

「be動詞を一般動詞はケンカしちゃうから一緒に使ったらだめだね~」

というと、後に

「どうしてAre you play baseballはだめなの?」

とたずねたときに、

「be動詞と一般動詞がケンカしてる~!」

と答えてくるのです。可愛くareとplayが喧嘩しているイラストを書く生徒さえいます。

結局は教師の話術だなと感じます。日本語の。

「そうだねバチバチだね~」「この2人は仲が悪いんだよ、昔から」

なんて適当な事を言っても生徒は喜びますし、覚えます。

こういったことは母国語でこそできることです。

 

日本語ベースにしたからといって、コミュニケーション活動をやめたわけではありません。簡単なルール説明などは実際に生徒とやってみせて日本語を介さず説明します。

ALTのルール説明が難しいときは、通訳のような形で日本語解説をします。

 

日本語ベースの授業は、英語での指示を理解する力にはつながりませんし、生徒から自然に英語が出てくるような環境の整備ができているとは言えないです。

しかし、「英語の授業楽しいな」「わかるぞ」といった感情の方が大切かと思いました。それが、アンケートで「英語の授業が好きだ」という生徒の数が増えたことに繋がったと思います。

1年生の授業が終わると、だいたいのことが言えるようになるので、2年生からは英語で授業を進めてもいいかなと思っているところです。

また、習熟度別などにする人的余裕があるのなら、得意なクラスの方はどんどん英語で進めていくべきです。

 

今年は、特別な支援を要する生徒とたくさん接する機会があり、ユニバーサルデザインの視点に基づく授業について考えさせられました。

自分の方法から方向転換した結果、授業を参観された方から「もっと英語を使って授業したほうがいいのではないか。」「めあてなども最近は英語である。チャレンジしてみてはどうか」と言われてしまいました。

答えのない世界です。でも今年は私はこれが正解かなと思っており、変えるつもりはありません。

 

誰かの参考になれば幸いです。

読んでくださりありがとうございました!

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